昭和初期 · 新布石革命
呉清源が三々、星、天元を宣言文にした一局
1933年、囲碁界の権威が白番に座りました。十九歳の呉清源は実利、速度、そして盤の中心で旧秩序を迂回します。
呉清源(黒)対 本因坊秀哉名人(白) · 1933.10.16—1934.01.29 · 白2目勝ち · コミなし
新旧囲碁の公開舞台
呉は日本棋院の選抜を勝ち、最後の世襲本因坊で名人の秀哉と対局しました。新聞は世代と国の対立として報じました。
対局は約三か月。白番は自分の手番で封じ手なしに打ち掛けられ、不公平をめぐる議論が残りました。秀哉の後の引退碁で封じ手が導入されます。
天元は奇抜さか、新聞時代の正確な見出しか
三手は単独の奇手ではありません。日本棋院史は呉と木谷実を新布石の推進者とし、木谷は勢力と位、呉は一手で隅を打ち切る速度を重視したと説明します。
天元は普遍的最善を宣言したのではなく、実利・展開・中央を同じ布石に置けると示しました。
K10が衝撃を与え、現代首選ではない理由
天元はすぐ地を囲いませんが四方に等距離です。三々と星と組み、隅ごとの清算を拒みます。
コミなしでは4手後すでに黒94.3%、約5.9目。K10後は黒91.3%、約5.0目となり、KataGoはR5やE17を好みます。
AIも速度を選ぶが、中心より隅辺に置く
TreeViewはK10とR5、E17、Q5を比較します。AIも保守的ではなく、実利と展開を同時に得て全局を速く回ります。
R5とE17のほぼ対称な評価は、微差の順位を唯一解にしない注意でもあります。
革命的な手が最善である必要はない
呉清源は旧定石の許可より、全局資源の協働を先に問いました。
AIは別の座標でその革命を続けています。K10に反対しても、呉が開いた問いの中にいます。